2026年10月、ポケモンGOのイベントに参加するため、一人で台湾を訪れた。
今回の旅は、細かい予定をほとんど立てていなかった。映画『青春18×2 君へと続く道』のロケ地を訪れるつもりも、当初はなかった。

一人で訪れた台湾。2024年の自分には想像できなかった景色。
この記事でわかること
- 療養中に観た映画が、二年後の台湾旅行につながったこと
- 予定になかった十分駅で感じた、回復の実感
- 「ここに来れたよ」という言葉に込めた思い
当日、突然思い立った
台湾へ来た目的は、ポケモンGOのイベントだった。
当日、イベントを回っているうちに少し飽きてきた。昼の12時を過ぎた頃、ふと「『青春18×2 君へと続く道』のロケ地へ行けないかな」と思った。
調べてみると、映画に登場した十分駅までバスで行けることが分かった。往復には二時間ほどかかる。それでも、その日の私は行ってみることにした。
旅行前から計画していた聖地巡礼ではない。台湾へ来て、その日、その場で思いついた寄り道だった。
何かが連れてきてくれたのかもしれない。
2024年、療養中に観た映画
『青春18×2 君へと続く道』を観たのは、2024年5月31日だった。
当時の私は適応障害で仕事を休み、そのまま退職へ向かっていた。求職中で収入はほとんどなく、貯金を切り崩しながら生活していた。映画館へ行くことさえ、当時の私にはぎりぎりだった。
頭がうまく働かず、自分の感情が以前のように動いているのかも分からなかった。それでも、この映画を観て私は大号泣した。
映画では、18歳のジミーが台湾でアミと出会う。二人は同じ時間を過ごし、互いに思いを抱きながらも、別々の道を歩むことになる。そして36歳になったジミーは、18年前の記憶をたどりながら日本を旅する。
社会的には成功した36歳のジミーより、何者でもなかった18歳のジミーの方が生き生きして見えた。好きな人や仲間と笑い、食卓を囲んでいる姿を見ながら、私は「成功って、なんだろう」と考えた。
頑張っても変えられないものがある。どれだけ思っても、取り戻せない時間がある。それでも人は、過去を抱えながら自分の人生を歩いていかなければならない。
当時の私は、自分の人生も失ったように感じていた。その状態でこの映画を観たからこそ、ジミーの旅と自分を重ねたのだと思う。
一緒に観た人のことも、あのエンドロールで込み上げたさまざまな気持ちも、映画の記憶の中に残っている。
映画の詳しい感想は、別の記事に書いている。
映画で見た場所に立った
バスに揺られて、十分駅へ着いた。

映画の舞台となった十分駅。
駅の周辺には線路が通り、そのすぐそばに店が並んでいる。映画で見た台湾の原風景が、目の前に広がっていた。

線路の両側に店が並ぶ、十分の街並み。
映画の世界に入ったという感覚とは少し違った。好きな映画に登場した場所へ、自分が本当に来られた。その事実に、回復したことを実感した。
「記憶の旅人」を聴きながら、十分の街を歩いた。

赤い提灯が並ぶ十分の街。
この曲を聴くと、映画の場面だけでなく、2024年に映画館で観たときの自分まで思い出す。映画と一緒に、当時の時間や感情も残っている。
願いを乗せたランタン
空には、いくつものランタンが上がっていた。
観光に来た人たちがランタンを見上げ、それぞれ何かを願っていた。その姿を見ていると、自然と涙が出てきた。

それぞれの願いを乗せて、十分の空へ上がっていくランタン。
映画の中で、18歳のジミーとアミが上げたランタンには、二人の未来への願いが込められていた。しかし36歳になったジミーが向き合ったランタンは、私には18年間抱えてきた記憶とのお別れに見えた。
同じランタンでも、そこに込められるものは、その人が生きている時間によって変わる。
十分で私が見たランタンには、現実に生きる人たちの願いが乗っていた。何を願ったのかは分からない。それでも、空を見上げて祈る人たちの姿から、私は力をもらった。
ここに来れたよ
2024年の私は、仕事を失い、収入もほとんどない状態で、貯金を切り崩しながらこの映画を観ていた。次の仕事も、その先の人生も見えていなかった。
海外旅行をするには、お金が必要になる。旅の準備をして、空港へ行き、飛行機に乗り、知らない土地を一人で歩く体力も必要になる。その日に思い立ち、往復二時間をかけて好きな映画のロケ地へ向かうだけの気力も必要だった。
あの頃の私には、そのどれもなかった。
それが二年後、私は一人で台湾を訪れ、映画で見た十分駅に立っていた。「記憶の旅人」を聴きながら歩き、人々が願いを込めて上げるランタンを見ていた。
ここへ来られたことは、私にとって復活の象徴だった。
2024年の自分へ、心の中で伝えた。
ここに来れたよ。


コメント