今を生きる。#8|休むのが怖い日々

ブッヒー

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前回、ある朝突然動けなくなり、精神科で適応障害と診断された。その後は眠ることもできなくなり、再び病院へ行って薬を処方された。

仕事を休めば、少しは楽になると思っていた。しかし、会社へ行かなくなっても、頭の中から仕事が消えることはなかった。


この記事でわかること
  • 転職先との違いと休職制度を知り、前の会社へ戻りたくなっていった思考
  • 傷病手当金の申請と3か月の期限によって、休むこと自体が怖くなったこと
  • 音楽も頭に入らず、散歩と睡眠を繰り返していた休職直後の生活

前の会社へ戻りたくなる思考

最初から、前の会社へ戻りたいと思っていたわけではない。

転職先で働き始めたのは、2024年1月22日だった。ところが2月中旬には、事前に聞いていた仕事と実際の仕事が違い、これまで身につけてきた経験も生かせないことに気づいていた。

前の会社にも嫌なことはたくさんあった。それでも後輩の育成など、自分が力を注ぎたいと思える仕事はあった。転職先では、それすらできなかった。

何のために転職したのだろう。ここで働き続けることに意味はあるのだろうか。転職先で失ったものを数えるたびに、前の会社へ戻るという考えが頭に浮かぶようになった。

そして、転職からわずか1か月半で働けなくなった。

休職後、人事からは時々電話がかかってきた。内容は状況の確認だったと思う。頑張って電話に出て話しても、何かが解決するわけではない。ただ消耗して、電話を切ったあとも不安だけが残った。

そのやり取りのなかで、傷病手当金という制度を知った。人事から説明を受けたことも、自分で調べたこともあったと思う。

そこで初めて、前の会社に在籍したまま休むという選択肢があったことに気づいた。

傷病手当金とは別に、在籍したまま休める期間にも大きな違いがあった。勤続年数から考えると、前職ではおよそ2年間休めた見込みだった。一方、転職先で実際に認められた休職期間は3か月だった。それを過ぎれば、復職するか退職するしかない。

前の会社で休めばよかった。辞める前に病院へ行けばよかった。そう考えるほど、前の会社へ戻りたいという思いが強くなっていった。

傷病手当金は実際に申請し、受給した。しかし、心も身体も動かないなかで書類を用意し、会社や病院とやり取りをすること自体が負担だった。

休めば治るのかもしれない。しかし、いつ治るかは分からない。その一方で、3か月という期限だけは確実に近づいてくる。私にとって休養は、身体を回復させる時間ではなく、社会復帰までの猶予が削られていく時間になっていた。

一日を終わらせるための生活

休職後は、自宅と親戚の家を行き来していた。ここでは、親戚の家をセカンドハウスと呼ぶことにする。

自宅には会社から何か届くかもしれない。一方で、一人になりたい気持ちもあった。その時々の状態に合わせて、二つの場所を行き来していた。

少し時間が経つと、一日の過ごし方が決まってきた。

朝の4時か5時には目が覚めた。眠りたいのに眠れない。不安だけが大きくなり、それでも無理やり布団に入っていた。

6時前になると、BSで放送されていたクラシック音楽の番組を見た。その後は安住紳一郎アナウンサーのニュース番組、7時30分からは朝ドラや火野正平さんの自転車旅を見る。

8時頃からは、前日に録画したテレビ番組を無理やり見た。以前なら楽しめたはずの番組も、内容はほとんど頭に入らない。音楽を流しても、聞いたことがあるはずの曲を、何の曲なのか認識できなかった。

10時頃になると眠り、11時を過ぎて起きる。散歩を兼ねて昼食を買い、帰ってから再びテレビを見る。そして14時頃にまた眠り、目が覚めると17時になっていた。野球がある日は、18時から中継を見た。

散歩をすれば、早く治ると思っていた。だから基本的には毎日歩いた。

しかし、歩いている間も考えるのは、前の会社を辞めた後悔と、これから先への不安ばかりだった。希望はなく、歩きながら泣くこともあった。

それは休養というより、一日をどうにか終わらせるための時間割だった。

現実が夢のように感じられた

2024年3月、大谷翔平選手の通訳を務めていた水原一平氏をめぐる違法賭博問題が突然報じられた。

あまりに現実離れした内容だったこともあり、ニュースを見ながら、これが本当に起きていることなのか分からなくなった。夢の中でニュースを見ているような感覚だった。

現実は進み続けているのに、自分だけがそこから切り離されているようだった。

2024年3月31日、午前6時54分

2024年3月31日の朝、強い不安に襲われた。胸が激しく鳴り、じっとしていられなくなった。

セカンドハウスにいた親戚へ「散歩に行ってくる」と告げ、そのまま外へ出た。向かったのは、普段から散歩で訪れていた公園だった。

午前6時54分、公園のベンチに座り、昇ってきた太陽を撮った。

写真だけを見れば、静かで穏やかな春の朝に見える。広場には朝日が差し、空も晴れていた。

しかし、その写真を撮った私は、理由の分からない強い不安のなかにいた。景色を楽しむために公園へ来たのではない。部屋にいることに耐えられず、逃げるように外へ出た先で撮った一枚だった。

その翌日は4月1日だった。

テレビには、新入社員が会社へ入っていく姿が映っていた。本来なら、私も新しい会社で働き、新しい生活を始めていたはずだった。それなのに、転職からわずか1か月半で倒れ、働くこともできずにテレビを見ていた。

なぜ、あのタイミングで前の会社を辞めたのか。なぜ転職してしまったのか。前の会社で休んでいれば、違う未来があったのではないか。

考えても過去は変わらない。それでも、同じ後悔を何度も繰り返した。

かかりつけ医を探した

最初に処方された薬を飲んでも、効果があるのか分からなかった。これから継続して診てもらう、かかりつけ医のような存在が必要なのではないかと考えた。

最初の受診から約1週間後、セカンドハウスの近くにあり、比較的評判のよかった精神科へ行った。

診察の前には、心理士と思われる人が話を聞いてくれた。その後の診察で、抗うつ薬のトリンテリックスと睡眠薬のデエビゴが処方された。

トリンテリックスは当初20mgで処方されていた。しかし、飲み始めとしては量が多いのではないかと薬剤師から確認が入り、医療機関への照会を経て10mgへ変更された。

薬を飲み始めると、頭がフラフラした。酒に酔った感覚とも違う、経験したことのない不快感だった。それでも、治るために必要なのだと思って飲み続けた。

結果として、トリンテリックスとデエビゴは、その後約2年間飲み続けることになる。

休んでも、何も休まらなかった

朝早く目を覚まし、テレビを見て、眠る。昼食を買うために歩き、またテレビを見て眠る。酒は一切飲めなかったが、好きだった風呂には入っていた。薬を飲み、散歩も続け、早く治るために自分にできることはしていた。

当時の私は、休むことを「何も生み出していない時間」だと思っていた。休まなければ治らないのに、休むほど二度と立ち上がれなくなるような気がした。身体は会社から離れていても、頭の中では転職への後悔と将来への不安が動き続けていた。治るために休んでいるはずなのに、心まで休めた日は一日もなかった。

散歩をして、寝て、テレビを見て、また寝る。そんな一日を繰り返すだけで、当時は生きるのに精一杯だった。

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