生きろ|今を生きる #外伝

ブッヒー

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2016年、私がある会社にアルバイトとして入社したとき、彼は社員のSVだった。

良くも悪くも、言うべきことをはっきり言える人だった。入社して間もない私が、暇な時間にメモ帳へ絵を描いていたとき、「半人前が調子に乗るな」と注意されたことがある。完全に私が悪い。

兄のように距離の近い人でもあった。少し乱暴なところもあり、2018年に職場のメンバーで飲みに行ったときには、昼から飲んでいた彼に背中を何度も強くたたかれ、不快に感じたこともある。

そんな彼は、30代半ばで亡くなった。

この記事でわかること
  • 元気に働いているように見える人も、限界を抱えていることがある
  • 休まず働いていることは、元気である証拠にはならない
  • 仕事に壊される前に、逃げてから次の選択肢を考えていい

再び同じ職場で働く

2020年、私が社員になり、彼とは再び同じ職場で働くことになった。彼は現場をまとめる立場にいた。

仕事が何でも完璧にできる人だったわけではない。能力が足りないと判断され、クライアント対応を任されていなかった時期もあった。

それでも、何かあれば大きく構えて窓口になり、面倒な仕事も引き受けた。他の上司にはない、自己犠牲ともいえる姿勢があった。私は今でもその部分を尊敬しているし、自分が働くうえでも真似している。

コロナ禍で現場が混乱し、私を含め社員になったばかりの人も多かった。そんななか、彼はさまざまな仕事を引き受けてくれた。

前日の仕事終わりにサッカーをして、翌朝9時の出勤にぴったり現れるような人でもあった。だからこそ、その後の変化には驚いた。

22時40分、二人で話したこと

2020年10月、会社のパソコンのメモリを増設する作業があり、仕事が終わった22時40分ごろ、彼と二人きりになった。

そこで私は、この半年でたまっていた組織への不満を初めて彼に話した。何を話したのか、細かな内容までは覚えていない。ただ、彼に考えを肯定してもらい、珍しく自分でも納得できた感覚は残っている。

同じような問題意識を持つ人が上の立場にいる。それなら、この組織を少しずつ変えていけるかもしれない。私は「じゃあ、やるか」と思った。

今振り返れば、彼と仕事についてきちんと話した、数少ない時間だった。

増えていった負担

2021年1月、産休から復帰する社員の復帰プランとフォローを、なぜか私が担当することになった。

彼はすでに手いっぱいだった。新たに7人のアルバイトを担当することになり、合計10人を抱えていた。他の同じ立場の人が担当していたのは0人から2人ほどだった。

彼は私に、「こういうプランは本来、会社が考えなければいけない」といった趣旨のことを話していた。

当時は単に仕事を振られたと受け止めていた。しかし今思えば、自分が倒れそうだと、どこかで感じていたのかもしれない。これは、あくまで今の私の推測である。

最後に職場で見た彼の顔は、普段より白かった。さすがに気になり、「体調悪いですか?」と聞いた。

彼は「3時間しか寝ていない」と答えた。

その後、彼は突然職場に来なくなった。最初は欠勤だった。2週間ほどたってシフトを確認すると、休職に変わっていた。2021年2月ごろのことだった。

3月末、私は酔った勢いで彼にLINEを送った。その年度のお礼と、これからもよろしくお願いしますという趣旨の内容だった。送っておいて、本当によかったと思う。

戻ってくると思っていた

彼が休んでいる間に新しい業務が始まり、私は代わりにリーダーのような役割を担った。大変だったが、彼が戻ってくることを前提に仕事を進めていた。

彼がいなくなったポジションは空いたままだった。権限上できない仕事を除き、私は少しずつ彼の仕事にも手を出すようになった。

早番、中番、遅番、深夜勤務をこなしながら、彼が担っていた仕事の一部も引き受けた。

早く復帰してほしいと思っていた。

深夜勤務中に知った

2021年8月の初め、彼が亡くなったことを社内の掲示板で知った。

私は4連勤の3日目で、深夜勤務に入っていた。22時を過ぎたころだったと思う。画面を見たときの景色は、今も映像のように残っている。

業務中に涙が込み上げた。周りにはできるだけ隠したが、3時間の仮眠時間にも一睡もできなかった。

葬儀には、シフトを調整して参列させてもらった。喪服を持っていなかったため、夜勤中に宅配サービスで注文し、仕事を終えて眠り、起きて受け取ったものを着て向かった。

みんな泣いていた。不思議と、私は葬儀では涙が出なかった。

当時の私は、ただ何が起きたのかを理解しようとしていたのだと思う。

何も変わらない職場

彼が亡くなったあとも、職場の日々はほとんど変わらなかった。もともと長く休職していたから、業務だけを見れば、それまでと同じように進んでいった。

彼の死は、社内で触れてはいけないことのようになった。その後も、ほとんど語られることはなかった。

私は2022年、彼と同じ立場になった。

そこで、無駄な仕事、変わらない組織、通らない意見を経験した。苦情を分析しても、一件ごとの事案として処理され、同じような苦情はなくならない。新人が入っては辞めていく。何をしても何も変わらず、給与だけが振り込まれる日々だった。

そのなかで、彼が何に苦しんでいたのか、少しだけ分かったような気がした。

「ああ、これで死んだのかもしれない」と思った。

もちろん、彼の死因を私は知らない。自死だったのか、病気だったのかも知らない。仕事や心の病気が原因だったと断定できる事実もない。

ただ、自分が同じ立場で働き、同じ組織に絶望したことで、彼が抱えていたかもしれない苦しみを想像するようになった。

点が線につながった

私が会社を辞め、適応障害になった2024年、元上司とLINEをする機会があった。

そこで初めて、休職前の彼が同僚に相談しており、その内容が「コロナ鬱のように見えた」と聞いた。

2020年後半の彼は、以前より攻撃的に見えることがあった。新型コロナの接触確認アプリの履歴を強く心配するなど、普段とは違う反応もあった。休職直前には、眠れないことを同じ立場の人へ相談していた。

それを知り、私のなかで点が線につながった。

ただし、「コロナ鬱」は周囲から見た印象にすぎず、診断名ではない。彼の死因についても、今なお分からない。

元気に見える人ほど

私自身、眠れない日が続くようになったとき、彼が「3時間しか寝ていない」と話していたことを思い出した。

自分も同じところへ向かっているのではないか。そう思うと、怖かった。

彼の死は、私が転職に動いた理由の120%を占めていたと思う。このまま残れば、自分も死ぬかもしれないと本気で感じた。

結果として転職は失敗し、私は適応障害になった。それでも、どうにかなった。

もし彼が今も生きていたら、病気になる前に休めたのではないかと思う。休んだあとで、辞めるのか、戻るのか、別の道へ進むのかを考えられたかもしれない。

世の中では、休んだ人が心配され、休まず働き続ける人は元気だと思われがちだ。

でも、逆のこともある。毎日出勤している人ほど、どこかを傷めながら働いていることがある。壊れているときほど、自分は元気だと思い込み、予定をこなしてしまうこともある。そして、以前の自分と違う自分に気づいたとき、絶望する。

元気に見える人ほど、気にかけてほしい。

自殺予防週間に

9月10日から16日は、自殺予防週間である。

だからこの記事を書いたわけではない。ただ、公開する今がその期間であるなら、彼のことを私の記事のなかに残しておきたいと思った。

私は、彼に何が起きたのかを断定しない。知らないことを、都合よく物語にするつもりもない。

それでも、働くことが人を壊すことはある。病気になると、休むか、辞めるかという判断さえできなくなることがある。

だから、タイトルを「生きろ」にした。

生きろ。

そのあとで、休むのか、逃げるのか、続けるのかを自分で考えて決めてほしい。生きていれば、選択肢を選び直すことができる。

彼が仕事のできる完璧な人だったとは思わない。それでも、面倒なことから逃げず、大きく構えて窓口になった姿勢を、私は今も尊敬している。

2021年、あなたがいないなかで、早番も中番も遅番も深夜もやった。あなたの仕事の一部も引き受けた。

超大変やったよ。でも、どうにかなったよ。

読んでいただき、ありがとうございました。

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